1. アナウンサー日記
  2. 一柳 信行



  8月の中旬になりました。蒸し暑さに体力を奪われるこの時期、家にいるときは出来るだけ睡眠時間をとるようにしています。普段は起床した直後はテレビの前に座ることはないのですが、この時期は10分位はテレビを見てしまいます。なぜかって?甲子園で高校野球をやっているからです。
甲子園にまで出てくる学校の選手なので、皆さすがに体格が良いですね。ユニフォームもカッコいいし、近年はカラフルな色彩のものも多くなっています。

野球小僧だった私が小学生の時最初に憧れたのが、崇徳高校のユニフォームでした。胸の英文字に付いた黄色い縁取りと、ストッキングの下の部分の黄色がとてもカッコよく、目を奪われました。
中学生になって初めて高校野球を見に行った時、アイボリーホワイトのユニフォームに純白のアンダーシャツのお兄さんたちが華麗にボール回しをしていた。ご存じ広商でした。
高校生になってからは広陵。白いユニフォームに、胸の文字、帽子、アンダーシャツ、ストッキングはすべて黒。とてもオーソドックスですが、そこには伝統校としての誇りを感じさせる力強さがありました。

我々のころは少しでも体を大きく見せるためやや大きめのサイズが流行っていましたが、最近は完全に逆行して、ピッチピチなのが流行りのようです。体が出来上がっている3年生はそれなりにカッコよく映りますが、まだ成長過程の下級生を見ると、「大丈夫。もう1~2年すると似合うようになるから、それまで頑張れ。」と思ってしまいます。


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甲子園を見ながらフッ・・・と思いました。我がRCC野球部のユニフォームってどうだったっけ?

そこで自宅のクローゼットの中から、私が入社してからの歴代ユニフォームを引っ張り出してみました。
まず、私が入社した時に既にあったユニフォーム。

見て欲しいのは胸のロゴの「RCC」のデザイン。
Rの縦棒が電波をイメージしたものになっています。わかりますか?
野球部の先輩社員が、放送局らしいところを連想できるようにと発案したものです。
その先輩は今も現役で試合に出ています。


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2番目は入社5年目位から使っていたもの。

濃紺の下地は変わっていませんが、胸のマークが大きくなりました。
このデザインは後輩の社員が考えてくれたものです。
私はこのユニフォームが今でも大好きです。

こんなデザイン力がある社員を、うちはよく採用してくれました。
当時の人事関係者に感謝。
もちろん本人にも感謝。


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3番目が10年前位から現在に至るユニフォームです。

どこかで見たことがあるぞ?と思ったあなたは、やはり野球好きの人です。
2004年アテネ五輪・長嶋ジャパンとほぼ同じデザインです。

では、なぜ、RCCのロゴの左横にジャパンと同じ「J」が入っているのでしょうか?
弊社はニュースについては「Japan News Network」の加盟社(通称JNN)なので、その頭文字のJを加えたからです。

 

 

先日このユニフォームが絶版になると聞き、将来新しく入ってくる部員のためにも、デザインを一新しようということになりました。3代目ともお別れかなと覚悟を決めていたところ、絶版話はガセネタであることが判明し、まだまだ一緒にやれることがわかりました。
土、日は勤務になることが多く、なかなか野球部の試合に参加できていない私ですが、RCC野球部はとっても元気です。どこかでお手合わせをさせていただければ幸いです。


センバツ高校野球も終わり、今度は各大学の春季リーグ戦、そしてプロ野球が開幕。
野球ファンにとっては楽しみなシーズンとなりました。
甲子園の時期になると、不思議とキャッチボールをする子供達が増えるなんて、よく言います。
やはり甲子園って少年の心をひきつけてやまない何かがあるんでしょうね。

かく言う私も高校時代までは白球を追いかけていた一人。
延長戦入り直前の9回2死からサヨナラ本塁打を打たれて夏が終わるという残酷な幕切れでした
が、それも青春時代の良き思い出。
今はRCC野球部で、あの頃の様な爽やかな汗ではなく、動かない体を冷や汗で濡らしながら楽しんでいます。


そんな私にもう一回甲子園を目指そうよ!という誘いが同級生からかかってきました。
ピンときました。「マスターズ甲子園」という大会です。
これは数年前から始まった大会で、高校野球経験者が社会人となっている今、出身校のユニフォームを着て各地方予選を勝ち抜いて、憧れの甲子園球場で試合をする全国大会のことです。
以前、県工が出場しているのをTVで見たことがあって、いいなぁ~、あそこで試合が出来て・・・、と思った記憶がありましたが、正直一部の野球名門校OBしか手が届かない大会なんだろうと思っていました。
結構そう思っていた人は多かったみたいです。


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しかし、よく考えてみれば、大学・社会人野球上がりのバリバリと言われている人はそう多くないし、マスターズといわれている大会なので、試合を楽しめるように配慮されていて、出場選手の年齢制限もある。
あまり若い人ばかりが同時に出場できないようになっている。
それなら我々にも本戦出場のチャンスはあるぞ(ここで勘違いしてはいけないのが、あくまでもチャンスだけはあるということなのだが・・・)ということになり、私の同級生が音頭をとって、県予選から出場することになりました。


とはいえ、普通の公立高校ながらも、やはり諸先輩方の時代があってこそ私達の代があり、更には後輩達も何百人といる。そこはまず野球部OB会長に打診をして出場の許可をとり、可能な限り、各代のOB達に連絡をとって名簿作りから始めました。こういう時に世話好きの同級生がいてくれて本当に助かりました。


さっそく3月上旬に寒風吹きすさぶ中、OB会長が見守る中第1回の練習開始(私は勤務のため欠席)。
都合がついた数人からスタートしたが、これが想像した以上に悲惨な状況だったらしい。
とにかく体が動かない。1つ上の先輩で今は唐沢寿明にそっくりなY先輩は、見た目は凄くカッコイイのにそりゃイケんじゃろ!とツッコミが入りまくっていたらしい。
現役時代にそんなツッコミをしたなら、当然その日の夜は説教をくらっていたはずだが、もうみんないい歳である。
いい雰囲気だったらしい。
正攻法ではキツイと判断したある同級生は、大先輩の山本浩二さんに頼み込んで、何とか予選免除にしてもらえないか?とそれとなく私に探りを入れてくる者もいた。なるわけがない。

とりあえず県予選の初戦の日時が決まりました。場所は呉。
私「二河球場か。高校3年の夏の予選以来じゃの。」と言うと、
同級生「いや、呉の何とかグラウンドじゃ。しかも朝9時から。」
私「それって何処にあるん?」
再度同級生「わしもようわからん。みんな知らんって言いよったで。」
野球の技量よりも、まずはその場所にたどり着くことが出来るのか、そこが一番心配になってきた。
我が軍は本当に大丈夫なのだろうか。
そして、もし甲子園にまでたどり着けたら、私が打席に立っているときは
「一柳!自分で実況しながら打て!」と言い始める先輩がいたらどうしよう?
楽しい妄想である。

追伸:先週マツダスタジアムで大OBの山本浩二先輩にお会いしました。
マスターズ甲子園の予選に出場する旨をお話ししたところ、とてもにこやかにほほ笑んでくれ、
「お~ぉ、ほうか。頑張れ。」と励ましてくださいました。
やはり大OBは器が大きいなぁ。

しかし、大変なことを一言伝え忘れたことに後から気が付いた。

「先輩も一緒に出ませんか?。」この一言を・・・。

もし実現したら、相手校チームはびっくりするでしょうね。


対話ノート

一柳 信行

あれは去年の秋のことでした。会社に一本の電話がかかってきました。
「もしもし、○○小学校のKです。」
名前を言われなくてもその声を聞いただけで、すぐにピンときました。
Kさんとは、私が中学生時代の担任の先生だったからです。


ずいぶん久しぶりに声を聞きました。
最後に会ったのは、私がまだ入社2~3年目の夏、旧市民球場の正面玄関前で甲子園県予選の取材中の時でした。
顔を合わせても「あなた、誰でしたっけ?」と言ってしまう人との再会もあれば、
今回のK先生のように、顔を見なくても声だけ聞けば分かる人がいます。
それだけ私にとってK先生は、とても強烈な先生でした。
強烈といっても昨今問題視されている体罰を受けたからではなく、仲間を思う大切さや言葉で相手を説得することの大事さと難しさ、いじめは絶対に許さないといった、大人になってからも守り続けなければいけない幾つかのことを教わりました。
場所を使ったら、使う前よりもきれいにして返還するのが当たり前というのもK先生からの教えでした。

そのK先生から依頼を受けました。
その内容はというと「自分は来年の3月いっぱいでこの職から離れます。子供達にしてあげられることは、もう残り少ない。その一つとして、子供達がこれからの人生で希望をもっていけるよう、人生の先輩として君から子供達に何かお話しをして欲しい。ほんの少しだけでもいいから。」こんな内容でした。
このような相談をもちかけられることは過去に何回かありましたが、まさか自分の恩師からうけるとは思ってもみませんでした。

何とか力になりたいと思いました。
しかし私の勤務の都合がつかず、結局事前にK先生が勤務する小学校を訪ねて、
数分間のビデオを回してもらってのVTRメッセージの形をとらさせてもらいました。


帰り際にK先生から、お土産とは別に白いビニール袋に入った小さなものを手渡されました。
開けてビックリ。出てきたのは私の担任をしていただいていた当時の「班ノート」でした。
これを私たちは先生との「対話ノート」と呼んでいました。
多少やり方や呼び名の差はあっても、班ノートってあなたも小中学校時代にやった記憶はありませんか?。
担任の先生と、自分や班とを繋ぐノートでしたよね。
K先生は長い教師生活の中で対話ノートをずっと家に保管されていたそうで、今回私との再会に合わせ自宅から持ってきてくださったのです。

これは、大変なノートを受け取ってしまった・・・というのが正直な気持ちでした。
先生にとっては当時受け持った子供達と一緒になって色々なことに取り組んだ証しのもの。
でも私にとっては、将来にむけて無限の可能性を信じていた年齢の頃で、かなり背伸びをして書いていたこともあったはずの恥ずかしい思い出の品。とても人様に見せられるものではなく、受け取った瞬間赤面してしまいました。


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そのK先生からは、去年の秋、カープがクライマックス・シリーズ1stステージ突破を決めた私の甲子園での実況を聴いて下さっていて、放送終了後ねぎらいのメールを頂きましたし、これからの私を励ましてくれる一言も添えてくださいました。
歳が明けた今月2日、K先生を囲んで当時の同級生が企画してパーティーが開かれました。
もちろん定年退職を控えた先生に、感謝の気持ちを形にして贈るためのパーティーです。
私は勤務のため参加出来ませんでしたが、きっといい会になったと思っています。
そして先生から預かっている対話ノートは、今だに開くことが出来ません。恥ずかしすぎて。
桜が満開になる頃までには、勇気を出して一度開いてみようと思っています。
そして先生にお返しをするつもりでいます。


9月の中旬になりました。
気象庁が発表していた長期予報通り猛暑になった今年の夏もようやく終わりを告げてくれて、ほっとしています。
去りゆく夏を惜しむなんてよく言われますが、今年はあまりの暑さに耐えきれず、
早く去ってくれ!このクソ暑い夏野郎めが!!と思っていたので、実はほっとしているどころか、
嬉しくって仕方がないというのが正直な思いです。

夏が過ぎたあと時々話題になるのが、夏の思い出。
宿題が間に合わずに親に叱られた人の話をよく聞きます。
この歳になると宿題なんて当然無いわけで、自分の子供時代のことはさておき、
叱る側に回っている同級生がたくさんいます。
子供の頃は一年一年その夏にあった印象的な出来事は結構鮮明に覚えていますが、
大人になって就職してしまうと、よほど大きなことがない限り、
この夏の思い出って何?って聞かれても、とっさには出てこないもの。
家~野球場~会社~家~再び野球場~再び会社~家というサイクルにはまってしまい、
今年もまた、見事なまでの運動不足体型が完成してしまいました。

そんな例年とさほど変わり映えのしない夏を過ごしていた一柳ですが、8月の末にちょっとびっくりすることがありました。
自宅の軒下に、蜂の巣を発見してしまったのです。
最近ちょっと蜂を見る機会が多いなぁとは思っていました。
実はうちは過去に何度か蜂の巣を作られたことはあります。
巣を見ること自体にはそれほど驚きはしないのですが、今回のはちょっとデカい。
大人の握り拳なんてもんじゃない。はるかにデカい。
どうしてこんなに大きくなるまで気が付かなかったのか?と思いましたが、もう遅い・・・。
というわけで、駆除することにしました。

とはいえ、相手は蜂。ミツバチのように愛くるしいのなら放っておこうかなと思いますが、よぉ~く見るとアシナガバチだ。
スズメバチほどの凶暴性はなくても、刺されたらきっと痛い。いや、100%痛い。
そういえば、小学生のころ近所の家に出来ていたアシナガバチの巣を覗き込んでいたら、
ふくらはぎを刺されたことを思い出した。
でも、そのままにしておくことは出来ない。男一柳、蜂の巣の駆除に乗り出しました。

駆除するならイッキにしてしまった方がいい。
というわけで、何時ごろが一番たくさんの蜂が巣に戻って来ていそうなのかを父に聞いたところ、夕方だと教えてくれた。
「そ~か、夕方なのか。いや、待てよ。
スズメバチは夕方は気が立っていて危険だと、テレビが言っていたぞ(うちはアシナガバチだけど・・・)。」
でも仕方がない。決行時刻は夕暮れ時と決定。
刺されないための工夫は?
「スズメバチは黒いものを見ると興奮するってテレビでは言っていたぞ(何度もいいます、うちはアシナガバチなんですけど・・・)。」
というわけで、暑いけど全身白づくめの長そで長ズボンに着替えた。当然髪の毛も隠すため白い帽子を被って。
殺虫剤はどうする?「蚊取り用のやつが家にあったので、それを使おう。効果が無かったらどうする?効くと信じて使おう。」

てなことを考え、西の空があかね色に染まっていたある日に決行しました。
巣を見ると蜂がいるいる。数なんて怖くてとても数えられない。皆お尻の辺りがヒクヒク動いているではないか。
あの中に毒針があるのかと思うと、ちょっとひるむ・・・。
腰を引きながら近づいた末、殺虫剤スプレーのボタンを押した。
「えい!!」

白い粉が噴霧された。しかしこの粉の勢いが、ことのほか弱い。
「しまった、テストしたときには、あんなに勢いよく出たのに・・・。」
巣に届くかどうか微妙なところまでしか広がらない。
しかも驚いた奴らが出てくる出てくる。
こうなると取るべき道はひとつ。逃げるしかない。全力で逃げた逃げた。
俺ってこんなに足速かったっけ?というくらいの速さでした。
奴らは羽を持っている。追いつかれちゃいけないもんね。
一目散に玄関まで回り込んで、戸を勢いよく閉めた。
「ああ~ぁ、びっくりした。」

翌朝確認に行くと、数匹が地面で成仏していました。でも大きな巣はやはり健在。
「もう一回やらんといけんね。」と思いながら出勤。
その翌日だった。帰宅したら父が明るい声で
「蜂の巣、落としといたで。」
更に
「あんなもん、シャーッ!!ってスプレーかけたらすぐよ。」だって。
さすが昭和ひと桁生まれ。根性が愚息の私とは違う。


今年のGWも終わりました。
特に5月の3・4・5日は珍しく雨の心配を全くせずに済んだ3日間になりました。
今年は菓子博もあった上、毎年広島市内中心部でフラワーフェスティバルが開かれます。
弊社にとって、これは全社的な大きなイベント。
セクションを問わず、ほぼ全員出社になります。
例年この3日間の何処かで雨が降るというのが定説のようで、私の入社してすぐに先輩方から
「フラワーの期間中は3日間共に晴れたためしがない」と聞かされました。
実際は3日間全て晴れた年もあったのですが、
とにかく晴れて欲しい・・・という願望がそういう言葉となって言い伝えられてきたのでしょう。


毎年アナウンス部員は総出になります。
私も去年は一番大きなステージ=カーネーションステージの進行役でしたが、今年は完全にノータッチでした。
出張で東京へ行っていたからです。
まぁ~、人の多いこと多いこと。広島駅に着いた段階から大混雑。
新幹線指定席は窓側の席は当然取れず、通路側の席へ。
一つ前の席には1~2才の女の子を連れた若い夫婦が乗っていました。
その女の子は途中から身を乗り出して、私の方を見ているのです。何て愛くるしいのでしょう。
幼い子に見つめられると笑顔でそれに応えようとするのが人の常。
色々な表情を作って相手にしてあげたら、とても喜んでくれていました。正直めちゃくちゃに嬉しい。

名古屋が近づいてきた。
両親が下車の準備を始めました。その女の子ともお別れの時間が近づいてきました。
バイバイをしてあげたら、私の方にトコトコと歩いてきたそうにしていた。
私としてはかなり嬉しい。
でも両親としては、よそ様に迷惑をかけてはいけないと思ったのでしょう。
「すみませんね~。」と言って顔を合わせた瞬間、お互いが声をあげました。
「あああ~っ!!」その車両の端っこまで響きわたるような大声を。
その幼い娘の父親が、私の知り合いのスポーツ新聞社の記者だったからです。
こんな偶然って凄いと思いませんか?
私は東京へ。彼ら親子3人は名古屋の知人のところへ行く最中だったとのこと。
数少ない休みを使っての家族サービスだったようです。
なんだか私を含めた4人がホッとするような出来事でした。


そして帰りは黄昏どきを迎えた東京駅でのこと。
新幹線の車内で通路を挟んでの向こう側に一組の老夫婦がいました(今度は知り合いではありません)。
着席した瞬間に、奥に座っていた女性が泣き始めました。
窓越しに、これまた2才くらいの男の子が手をふっているのです。
可愛い孫とのしばしのお別れはとても切ないもの。
隣の旦那さんとおぼしき男性がそっと慰めていました。

数年前にまだその位の年齢だった姪が自宅に遊びに来たとき、
私は出勤するためにバイバイをしたら、とたんに大声で泣かれてしまった。
さすがに私は泣きはしませんでしたが、
幼い子に泣かれたら大人としてはとても切なくなったことを思い出しました。

車両が動き始めた数分後、その女性はモリモリ駅弁を食べていたのには笑いましたが、
今年のGWの民族大移動の中、どんな出会いがあって、どんな家族愛が生まれたのか
ちょっぴり考えた一柳でした。


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