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9月1日の朝5時30分。
普段であれば人の姿はまばらな時間帯ですが、
夜明け前のRCC報道センターに、40人を超える大勢のスタッフが集まりました。
いつもは一緒にカープのナイター中継を担当しているスポーツ部員の姿もあります。
「防災の日」の朝に合わせて、広島での大地震を想定しての特別番組の訓練を行ったためです。


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会社の外に出て、中継する記者もいましたが、
私と2年目の中根アナはスタジオで刻々と変化する被害状況などを伝える係りでした。


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普段はパソコンできれいに印刷された原稿をニュースでは読んでいますが、緊急時には手書きの原稿もありますし、イアホンによる指示をそのまま口にすることもあります。また地名をどこまで噛み砕けば、全国ネットの特番でも視聴者にわかってもらえるのかなど、思考回路をフル活用です。
停電や携帯電話が満足に使えない状況下で何を伝えられるかも考えなければなりません。
また東日本大震災後、津波に対する表現など、放送で使う言葉も変わりました。

さらにRCCでは他の民放と違いラジオもあります。
災害時にはラジオの存在が高まると言われますが、映像がない中で、正確な情報をいかに届けられるかが問われます。


14年前の2001年3月24日。最大震度6弱の芸予地震がありました。
当時、大学進学直前の春休み。
家でテレビを見ていると、地鳴りと突き上げる縦揺れ、そして横揺れが襲ってきました。
住んでいた南区は震度5弱を観測。2階の私の部屋はCDが散乱し、その上にCDプレーヤーが落下し、お気に入りのCDが割れてしまいました。
逆に言うと、その程度で収まり幸運だったわけですが、揺れている間に、冷静さを失った自分がいたことを覚えています。

芸予地震からあと半年で15年。
そして、仕事に広島のマスコミを選んだ自分がいます。

東日本大震災では、自らも被災者でありながら、仕事で数日、家に帰れないアナウンサーもいました。その中で、不安や恐怖を感じながらも、冷静かつ正しく伝えようとする姿は、心打たれるものがありました。

もちろんこの朝、訓練で使った表現を、本当にマイクの前で使う日が来ないことを祈るばかりですが、万が一の時に、自分がどう動かなければならないのか、それを改めて客観視した今年の防災の日でした。

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