1. アナウンサー日記
  2. 小林 康秀


 先日深夜0時から、広島市中央卸売市場の魚市場に撮影に行ってきました


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<広島市中央卸売市場>

市場の花、「せり」の時間は4時くらいなので、
ちょっと早すぎる時間ですが、意外とそうでもないんです。
市場には深夜0時くらいから、船やトラックで魚が次々とやってきます。
最近って、セリにかかる前に、
相対取引といって一対一の直接取引によって
入荷が少ない魚種は売り切れてしまうんです。

では何を撮りに行ったのか…。
それは「カサゴ」と「ガザミ」なんです。
出汁がよく出てとても上品な味わいの「カサゴ」


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<カサゴ>

淡泊だが上品な甘みの、ワタリガニとも呼ばれる「ガザミ」


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<ガザミ>

お店でいただくと、そこそこの値段がする高級魚種なんです。

いわゆる瀬戸内らしい海の幸です。
しかし全国的に知られているのは、広島の場合どうしても「牡蛎」ですよね。
次に「小いわし」ですかね。
その次がぱっと出てきません。
県では、次なる瀬戸内海の名物を作ろうとしているのです。

「カサゴ」をいろんな料理方法でいただきました。
とても味わい深く、例えば観光客もこれを食べると、
リピーターになっていただけるのではというおいしさでした。


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<料理人の北岡三千男さんもカサゴの潜在力に期待する>

どうやって…。
実はこの2種類は、稚魚を養殖して放流することができるのです。
そこで、2016年度から「カサゴ」「ガザミ」を集中的に大量放流する計画です。

しかしなぜ高級魚に絞るのでしょうか?
瀬戸内海の漁獲量は、環境の変化で減少の一途をたどりました。
漁業の担い手も、高齢化で減り続けています。
新たな担い手を増やすためには、
ある程度、稼げる魚種が必要なのです。

「稼げる瀬戸内になるために」

今度は、広島にやってくる知り合いと
「カサゴ」食べたいと思います。


いま、和食ブームの影響もあり、日本酒の海外への輸出が増加しています。我らが広島の地酒も、徐々にですが海外への輸出量を増やそうとしています。そして去年から本格的に県内の酒蔵がタッグを組んで、「広島の酒」を海外に売り出そうという取り組みが進んでいます。

継続して取材しているのですが、実は私は日本酒は苦手でした。若いころ調子に乗って飲んでしまい、記憶を無くしてしまったり、悪酔いしてしまったというイメージから、日本酒離れしてしまっていたのです。

しかし取材を進めていく中で、さまざまな酒蔵を訪れて、酒造りに対するこだわりを聞いていくと、やっぱり『飲んでみたい』と思ってきたのです。酒造りは自然との対話、そして長年の経験、そしてまるで子供を育てていくような真心と情熱。その中で修練され続けて出来上がった代物なのです。そんな背景を聞いた後に飲む「日本酒」は、なんとも言えない味わいを、のど元から与えてくれるのです。

日本酒のおいしさに気付いた私は、もう一つ気づいたことがあります。飲み方です。私は、基本的にどの種類の酒も飲むのですが、だから違う種類の酒をあれこれと飲んでしまうんですよね。しかもがぶがぶと。これがいけなかったんですね!よく日本酒は「ちびちび」飲むものだといわれますが、その酒の味わいをじっくり感じながら飲めば、変な酔い方はしなくなりました。

40を過ぎて、ようやくこんな基本的なことを理解したわけですが(笑)
、おかげでおいしく日本酒を飲めるようになっただけでなく、これまで飲んだことのなかった銘柄との出会いが本当に楽しくなりました。

私と同じとは言いませんが、過去の似たような経験やイメージから実際若い世代の日本酒離れというのは進みました。国内は少子化で人口も減っていく。国内需要も減っていくなかで、海外に活路を求めようという動きは当然かもしれません。でも酒蔵の人はおっしゃっていました。「本当に売りたいのは日本です。逆輸入ではないけど、日本の人に気付いてもらうために、海外での評価も得て、国内に訴えかけたい」

山口の獺祭が海外でブームと聞きますが、広島も負けないでがんばってほしいですね。


骨折

小林 康秀

先月、走り回る子どもの面倒を見ていた際、ぬかるんだ地面に足を取られ、
低い鉄柵に足が入りそうになったため踏ん張ったところ、複雑に捻って足首を骨折しました。
まさに一瞬の出来事でした。

人生初めての骨折、そして手術。会社に入って初めての長期間の休養は、まさに驚きの連続でした。
・怪我直後の行き場の無い「激痛」。
・病院でレントゲンを撮って初めて認識した「骨折」という事実(折れたと思っていなかった)
・ニュース6で踏み込んで伝えられた休養するという「お知らせ」。
・手術後、二晩眠ることができなかったなんとも言えない「痛み」。
・その後、すぐ始まったリハビリで日々感じる事が出来た「回復」。

3週間少々の入院でしたが、めまぐるしくてあっという間でした。しかし、こんなに長く番組を休んだことが無かったため、皆さんに申し訳無いなという気持ちと、治すためには焦ってはいけないという気持ちが複雑に入り交じっていた3週間少々でした。

救急車で運びこまれる時も複雑な気持ちでした。怪我をして痛みに苦しみ、もがいている姿を見て親族が救急車を呼びました。しかし私はその時点で、骨折などしたと思っていませんでした。救急医療を取材していた私は、「救急車をタクシー代わりに使わないで下さい」と呼びかけているのに、その自分が救急車を呼んでいいものだろうかという疑問が、激痛の中ですが、渦巻いてきました。思わず「救急車を断って!」と叫んでしまいました。ええ?と親族が困惑したので、改めて足の状態を確認したところ、やはり立つ事が出来ない。私は観念してそのまま来ていただきました。もちろん救急車で運ばれてよかったと思いますが、取材者が当事者になってしまう複雑な気持ちは今も拭えません。

退院後、20日月曜日から会社に復帰し、ニュース6に出演しております。今、一番驚いているのは、怪我をした状況が、伝え聞いた人々に意外にも多く間違って伝わっているという事実。なぜか先輩や、同僚の怪我の状況と間違われていたり、もっと重傷だと伝えられていたり、怪我をした場所が、流川や並木通り、しまいにはどこかの料亭だと伝わっていたり(笑)(実際は安佐南区でした)今は、ご心配していただいている皆さんに現在の状況を含めてお伝えしている日々です。

とりとめなく書きましたが、手術は本当に大変でした。もちろん怪我はしないほうがいいに決まっています。『危険は身の回りに潜んでいる』その事を肝に銘じながら、日々生活をしなければと感じている毎日です。


東日本大震災から4年が経過しました。
今年もニュース6の取材で福島県相馬市に入りました。相馬取材は3回目となります。
まだまだがれきが山積みだった町並みが、整然と撤去されて更地になり、
そして今年は工事が至るところで始まっていました。

この取材のきっかけは、広島市から相馬市役所に派遣されている職員の福馬さんの取材でした。
その人を通して感じたことや、出会った現地の皆さんを取材してきました。
今回は、その現地の皆さんが、広島の市民グループと共に、
東京で現状を報告するイベントが開かれるので、改めて現地を訪れたのです。



今回の取材では、報告のイベントで震災時の体験を話すことになった、
若い漁師の菊地さんにお話しを聞きました。
取材の日はちょうど漁に出た日で、水揚げに立ち会いましたが、粋のいい魚介類があがっていました。
しかし今は試験操業しかできない状況で、毎日漁は出来ません。捕れる魚も決まっています。
原発事故の影響で本格操業がいつになったら出来るのか、何も決まっていません。
この日にあがった魚で基準値を超えるものはありませんでしたが、風評被害に悩まされているといいます。
そんな中でも、菊地さんらは後ろ向きにならず、本格操業になる日を目指して、若手の育成や、新たな漁法に挑戦するなどして、時間があるからこそ出来ることに挑戦していました。
震災時では、家が流され、おばさんが亡くなるなど大変な目にあった菊地さん。
しかし、震災の深夜に生まれた次女と長女、妻などご家族を守るために、日々活動されていました。

菊地さんなど相馬市の皆さんのイベント参加を呼びかけたのが、
広島の市民グループの一員で、昨年まで相馬市に派遣されていた職員、福馬さんでした。
現地の皆さんとの交流は、派遣後も続いているのです。
福馬さんはこう話します。
「つながりに終わりはないですよね。終わらないから、つながっているんですよ」



4年という月日は、派遣職員も交代で帰ったり、ボランティアも減ったりするなどして、現地の皆さんはなおさら「自立」していかなければならないと感じているそうですが、建物や施設の復興のように目に見える形では徐々に自立していけるのでしょうが、心の復興はなかなか難しいそうです。
まだまだ、何らかの手助けを必要とされています。
これは広島の土砂災害でもそうですが、やはり時間の経過だけで片付く問題では無いようです。
東北の皆さんは、是非いまの被災地の状況を見て下さいと話します。

私もなんらかの形でつながっていきたい。改めてそう思いました。


いきなり子どもっぽい話で、スイマセン。
小さな頃から怪獣映画をよく見ていて、特に「ゴジラ」はよく見に行っていました。
私にとって一番のインパクトは1984年に公開された『ゴジラ』
(小林桂樹さん、田中健さん、沢口靖子さんら出演)。

所詮、怪獣映画だよね、と思わないで下さい。私はこの映画から様々な事を学びました。
例えば『非核三原則』。
核を持たず、作らず、持ち込ませず。
日本がかかげる核に対する基本的な方針です。
当時の米ソが、日本に上陸するゴジラに対し核攻撃をしかけてよいかと要望してきた際、
日本の総理大臣が持ち出した言葉です。
小学校六年生の当時、その言葉がとても印象的でした。

この時の映画は、社会的・国際的な状況、時代背景や、最先端の科学的な知見を取り入れる努力がなされたものでした。
アドバイザーとして、地球物理学者の第一人者竹内均東大名誉教授や、耐震工学者の大崎順彦東大名誉教授、ジャーナリストの田原総一朗氏などが特別スタッフとして関わったので、リアルな状況が作り出されたのです。
水爆実験で生まれたゴジラ。
もちろんエンターテイメント的な要素もありましたが、そういった世の中の動きを学ばせてくれる存在でした。

私の夢は『ゴジラ』で、現場からリポートする役をやってみたいのですが、無理ですかね。
出演したいなあ(笑)

いよいよ明日から、(まるで宣伝みたいですが)米国の手による2作目ハリウッド版『ゴジラ』が上映されます。
もちろん出演のオファーはありませんでしたが(笑)
今回の映画は、ハリウッド版の1作目よりも、より日本のものに近いと言うことで、大変楽しみにしています。
初日はどうしても行けないのですが、2日目以降に見に行きたいと思います。
どんな内容なんでしょうねえ。


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