職場の私のデスクの引き出しには、「ことば」に関する本が何冊か入っています。
その中に「京ことば辞典」という本があります。25年ほど前に買った本です。
購入の動機は、長くふるさとを離れ、郷土のことばを“形あるもの”として持っておきたいと思ったからです。
普段はただ「持っているだけ」で、めったに見ることはありません。
まるで 引き出しの“重し”みたいなものです。気まぐれに暇つぶしに“ツマミ読み”する程度です。
決してぞんざいにしているのではなく、私は この本を所持していること自体に価値を見出しています。
先日パラパラとページをめくる中で、こんな言い回しに目が留まりました。
① 『おーきに はばかりさん』 ② 『おはよう おかえり』
①は「ありがとう ご苦労様でした」 ②は、出かける時の“行ってきます”に対して送り出す人が「行ってらっしゃい。早く無事に帰ってきてね」という意味です。
この言葉が、胸に染み入りました。ふるさとでは日常的に交わされたことばです。
ところがもう何十年 聞いたことも使ったこともありません。とても懐かしい方言です。
その活字が、私の小さい頃の思い出に誘ってくれました。
祖母は、長らく和服の仕立ての仕事をしていて、私はよく縫い糸を買ってきて欲しいと頼まれました。
お使いから帰ってきて糸を渡すと、決まって『おーきに はばかりさん』と労ってくれました。
私も喜んでくれる祖母の姿を見て とても嬉しくなったものです。
また朝学校に出かける時“行ってきまーす”と言えば、母や祖母が『おはよう おかえり』と 明るくことばを返してくれました。
何の変哲もない、ごくごく普通の会話シーンですが、そんなやり取りは記憶から抜け落ちていました。
しかし、目に映った非常に懐かしい表現に、瞬時にして遠い昔の一場面が活き活きと息を吹き返してきました。驚きです。思わず笑みがこぼれました。
これならコロナ禍でも一人で安全に楽しめます。自分史に触れる時間旅行です。
分厚い本を丁寧に読み進めば、果たしてどれくらいの日常場面が蘇ってくるだろか。