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あれは去年の秋のことでした。会社に一本の電話がかかってきました。
「もしもし、○○小学校のKです。」
名前を言われなくてもその声を聞いただけで、すぐにピンときました。
Kさんとは、私が中学生時代の担任の先生だったからです。


ずいぶん久しぶりに声を聞きました。
最後に会ったのは、私がまだ入社2~3年目の夏、旧市民球場の正面玄関前で甲子園県予選の取材中の時でした。
顔を合わせても「あなた、誰でしたっけ?」と言ってしまう人との再会もあれば、
今回のK先生のように、顔を見なくても声だけ聞けば分かる人がいます。
それだけ私にとってK先生は、とても強烈な先生でした。
強烈といっても昨今問題視されている体罰を受けたからではなく、仲間を思う大切さや言葉で相手を説得することの大事さと難しさ、いじめは絶対に許さないといった、大人になってからも守り続けなければいけない幾つかのことを教わりました。
場所を使ったら、使う前よりもきれいにして返還するのが当たり前というのもK先生からの教えでした。

そのK先生から依頼を受けました。
その内容はというと「自分は来年の3月いっぱいでこの職から離れます。子供達にしてあげられることは、もう残り少ない。その一つとして、子供達がこれからの人生で希望をもっていけるよう、人生の先輩として君から子供達に何かお話しをして欲しい。ほんの少しだけでもいいから。」こんな内容でした。
このような相談をもちかけられることは過去に何回かありましたが、まさか自分の恩師からうけるとは思ってもみませんでした。

何とか力になりたいと思いました。
しかし私の勤務の都合がつかず、結局事前にK先生が勤務する小学校を訪ねて、
数分間のビデオを回してもらってのVTRメッセージの形をとらさせてもらいました。


帰り際にK先生から、お土産とは別に白いビニール袋に入った小さなものを手渡されました。
開けてビックリ。出てきたのは私の担任をしていただいていた当時の「班ノート」でした。
これを私たちは先生との「対話ノート」と呼んでいました。
多少やり方や呼び名の差はあっても、班ノートってあなたも小中学校時代にやった記憶はありませんか?。
担任の先生と、自分や班とを繋ぐノートでしたよね。
K先生は長い教師生活の中で対話ノートをずっと家に保管されていたそうで、今回私との再会に合わせ自宅から持ってきてくださったのです。

これは、大変なノートを受け取ってしまった・・・というのが正直な気持ちでした。
先生にとっては当時受け持った子供達と一緒になって色々なことに取り組んだ証しのもの。
でも私にとっては、将来にむけて無限の可能性を信じていた年齢の頃で、かなり背伸びをして書いていたこともあったはずの恥ずかしい思い出の品。とても人様に見せられるものではなく、受け取った瞬間赤面してしまいました。


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そのK先生からは、去年の秋、カープがクライマックス・シリーズ1stステージ突破を決めた私の甲子園での実況を聴いて下さっていて、放送終了後ねぎらいのメールを頂きましたし、これからの私を励ましてくれる一言も添えてくださいました。
歳が明けた今月2日、K先生を囲んで当時の同級生が企画してパーティーが開かれました。
もちろん定年退職を控えた先生に、感謝の気持ちを形にして贈るためのパーティーです。
私は勤務のため参加出来ませんでしたが、きっといい会になったと思っています。
そして先生から預かっている対話ノートは、今だに開くことが出来ません。恥ずかしすぎて。
桜が満開になる頃までには、勇気を出して一度開いてみようと思っています。
そして先生にお返しをするつもりでいます。

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