私は物持ちはいい方だと思う。ここでいう物持ちとは、高価なものではなく1つのモノを長く使い続けるということ。
先日この日記で書いたメガネは四半世紀近く使っているし、車も14年くらい同じモノに乗っている。システム手帳にいたっては大学3年の秋から使っているので、かれこれ30年くらいになった。
先日ふっと気が付いた。腕時計も長く使っていることに。
その時計がこちら。
どう見ても普通の時計。全く高価ではなく、大学生が2日くらいアルバイトをすれば十分に買える金額だったのと、1月末で閉店した西区のアルパーク天満屋の中の店舗で購入したのを覚えている。もう干支一回り以上は使い続けているので、あちらこちらに小さな傷がついている。後輩の机の角に何度ぶつけたことか・・・。その都度、文字盤を覆うガラスって丈夫なんだなぁと感心している。
実は1つこだわりがあって買った。クロノグラフであること。
仕事の性格上、社外でしゃべることが多い。
「○○分✕✕秒まで喋って下さい。正味△△分△△秒ですから」と連絡を受ける。
外の現場にはなるべく身軽で行くので、ストップウォッチを兼ねるクロノグラフはとても役に立つ。デジタル表示だと難しい。
もう既に、右上のボタンは動きが悪く、押せなくなったことが何度もあった上、電池も何回か入れ替えた。近年は買い替えを勧められている。
「ずいぶん長く使っておられますね。でも、時計の中のオイルが少なくなっているはず。分解して注入すると6000円くらいかかりますから、それでしたらもう買い替えをお勧めします。」とのこと。
昨年末にそろそろいいのかな・・・と思い、馴染みの時計屋さんで新しい候補に目をつけていた。クリスマスまでに売れ残っていたら買おうと決めていた。
ところが、その時計は売れてしまったではないか!
ならばということで、この大ベテラン時計を、もうしばらくの間は使い続けようと決めたわけです。
世の中、身につけるもので人間性の評価までされてしまうケースはある。それは否定はしない(あれっ?この書き方、2~3回前のアナ日記でも書いたような気がしてきた)。
清潔感にもつながる。高価なものをもつことで見栄を張らなければ荒波を乗り越えていけない立場の人もおいででしょう。
ただ、人に不快感を与えさえしなければ、少々傷んだものであっても長く使い続けるのは素敵だと思うし、カッコいいと思う。愛着もわく。
この文章を書きながら私の頭の中には、小学生のころに習った歌「大きなのっぽの古時計」が回りはじめた。