つい先日部屋を掃除していたら、1枚の名刺が出てきた。
ずいぶん懐かしい名刺だ(下部に引いた黒い線は、いたずら電話防止のためあえて引かせていただきました)。
1994年広島アジア大会開催を前に、参加する全ての国と地域を2年間にわたって訪問してTVで紹介する壮大なプロジェクトが立ち上がった。
その名は「アジア・ピースロード」。その時に海外で配った名刺だ。
誰でも経験があると思うが、若い頃の一時期に横文字に憧れるときがある。それが自分の名刺になっているのだから、もう嬉しいのなんのって!。出国する前からやたら配りまくっていたら足りなくなったのも、今ではいい思い出だ(笑)。
現地に行ってリポート役を務めたアナウンサーは4人。橋本さん、寺内さん、横山さん、そして私。当時先輩方は皆さんスポーツアナウンサーの主力。私のみが、まだ見習い同然だった。
出張期間と担当国・地域はそれぞれ違っていて、2か月行きっぱなしの先輩もいらっしゃったが、私は1か月ちょっとだった。
私の担当はフィリピン、台湾、マカオ、香港。
最初に入ったフィリピンでは、場所によっては機関銃を持った兵士に護衛されながら移動した。次の台湾では、元巨人軍の呂明賜さんに会わせてもらえた。まだ現役だった上、サインもくれた。マカオでは、フランシスコ・ザビエルの遺骨を見せてもらえたし、香港に行くと、私がホテルで休んでいる間に先輩ディレクターが麻薬密売人に間違えられて警察に連行されそうになった。普通なら心配するところだが、あまりにも面白くて大笑いした。
冒頭でお見せした名刺は偶然出てきたものだが、帰国後ずっと部屋に飾ってあるものがある。それがこちら。
小さな貝殻をつないだ手作りネックレスだ。
フィリピンで離島を移動する際、小型船の操縦士から買った。船の操縦だけでは食べてはいけず、生きていくために地道にこういうものを作りながら観光客相手に購入してもらっているのだという。
別に欲しいと思ったわけではなかったが、身の上話を聞いているうちに情がわき1つ購入した。日焼けした顔いっぱいにしわを作って喜んでくれたのを今でも覚えている。帰国後は海外出張の思い出の品として部屋に飾っていたが、首にかけることはなかった。そこで、会社で、ちょっとだけかけてみた。
正直、カッコよくはない・・・。
でも現地の人の温もりだけは思い出せたような気がしている。これから先も大幅な模様替えをしない限り、私の部屋に飾り続けようと思っている。
追伸:アジア・ピースロード、私達が行った翌年はアナウンサーの派遣は無くなってしまった。どうやら私達の年に予算を使いすぎたのが原因とみられるが、真相は定かではない・・・。