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3歳の息子が幼稚園に入園しました。
喜怒哀楽の感情を言葉でしっかり話せるようになってきたことに、嬉しさと、しつけの難しさを感じる日々です。

さて、息子との自宅での会話の半分は「野球」という我が家。

3月に由宇球場へ行った際も背番号を見ながら、
「なかむらしょうせいがみたい」
「あどぅわがおった」
「しゃしゃおかさんもおった」と嬉しそう。


\「おーい、ばてぃすたぁ~」/
と叫んでました~
ちなみに私が“仕事へ行ってきます”の際の息子のあいさつは
「バイバイ。きょうはだれと~?」
⇒解説者は誰かという意味らしいです。
「きょうはあにやさんだよ~」などという返事になります。


ただ…即答ができないものも増えてきました。
(息子)「カープの100ばんはだあれ?」
(私) 「100はおらんのよ」
(息子)「なんで~?」

何でと言われても…。
カープでは101番から打撃投手はブルペン捕手などの番号です。
ただ、選手名鑑を見るとカープは120番台に育成選手がいます。
それに気づいた息子。
(息子)「122はだあれ?」
(私) 「佐々木健だよ~。ピッチャー。投げる人。」
(息子)「123は?」
(私) 「木村聡司。打つ人だよ。でも100番より大きい数字の人はまだ1軍の試合に出られんのよ~」

と、さりげなく支配下登録と育成選手の違いに振れてみると
(息子)「なんで~」
と、当然の返しがきます…。

(私) 「1軍は99番までの選手しか出られんのよ」
(息子)「じゃあカープの99ばんはだあれ?」
(私) 「・・・おらんのよ」
(息子)「なんで~」
(私) 「なんでかね~。99番じゃない番号が好きだったんかもね」
もう憶測の回答になってしまいます(苦笑)

さらに最近・・・
「なんでカープはセ・リーグなの?」
と聞かれました。

「むむっ」
そこを突いてくるとは…やるな息子よ。

“2つの大手新聞社のそれぞれの思惑”がリーグ分裂の歴史といわれています。
でも、さすがにそれは3歳の息子には意味不明。

「カープが巨人や阪神といっぱい試合をやりたかったんよ」
という答えをしてしまいましたが、素朴な疑問は意外と考えさせられるものです。

振り返れば、カープ発足の1950年は、私の父の生まれた年。
そして1982年。カープ昭和の黄金期あたりに生を受けた私。
運動神経抜群の父から
「キャッチボールが下手だから、野球選手になれんっ!」と
幼稚園の頃に烙印を押された石田家の次男ですが、
同じようにいろんな野球の質問を父にしていたのかもしれません。
それから偶然の連続で、幸運なことに大好きなカープと今でも繋がっています。

そして、実家から徒歩数分の場所に完成したマツダスタジアム。
早いもので今年10年目を迎えました。

ルイス投手でこけら落としこそ負けましたが、翌日誕生日の前田健太投手で初勝利。
そんな球場史の始まり…。その後は
・石原選手のマツダスタジアム初のサヨナラ弾(09年)
・緒方監督の引退試合<木村拓也さんのセンターフライも>(09年)
・赤松&天谷選手のスパイダーマンキャッチ(10年)
・広瀬純さん、15打席連続出塁の日本新記録(13年)
・キラ選手のライト2階席看板直撃HR(13年)
・インフィールドフライでサヨナラ勝利(15年)など、
忘れられないシーンは数多いものです。

実況担当だった試合でも
・天谷選手のマツダ初のランニングホームラン(12年)
・8月6日に丸選手のひと振りでサヨナラ勝ち(13年)
・黒田投手の8年ぶり復帰登板&日米通算200勝(15年&16年)
・鈴木選手(16年)、安部選手(17年)のサヨナラHR
などが記憶に深く刻まれています。



~今年はどんなドラマが起こるのでしょうか~

そして現在、RCCでは
「あなたとマツダスタジアム」というテーマでエピソードを募集しています。【 >>募集Twitter
ぜひ、この10年での観戦の思い出や、
球場での“出会いや縁”などがありましたら
お気軽にお寄せください。

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「あなたとマツダスタジアム」係

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そして、今年こそ、
マツダスタジアムでの胴上げが見られるシーズンになることを祈っています!

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