今月14日午後9時半前。
マツダスタジアムでの実況を終えてふと見た携帯電話に表示された「熊本で震度7」の文字。
「うそであって欲しい…。」
それが最初の感情でした。
その思いも虚しく、16日未明には本震が襲いました。
今は地元広島に住んでいますが、2005年、私のアナウンサーとしてのスタートは、熊本の放送局でした。
就職で初めて訪れた県でしたが、本当に住みやすかった街です。
その理由は“広島にそっくりな街だったから”かもしれません。
熊本駅から路面電車に揺られ、川沿いを走り、市内中心部へ向かう雰囲気。
そして中心部には、お城があり、アーケード街が広がっている光景など、
広島と似ているところが多々ありました。
(お城の敷地の広さや、アーケードは本通りをはるかにしのぐ大きさで驚きました。)
そんな町の中心部に近い場所で起きた地震。
その後、南阿蘇村などで土砂崩れもあり、被害は広がってしまいました。
最初に震度7を観測した益城町は、車で市内中心部から東へ30分ほどの場所。
単純に広島での距離感覚でいえば、海田町あたりです。
そんな場所で震度7と思えば、市内中心部もほぼ同じ揺れだったことでしょう。
今回、個人的に大変さを感じるのは、「熊本の中心部」が震源に近かった点です。
市民の足、路面電車が一部で運転を再開するのに、本震から4日かかりました。
以前、私が住んでいた近くでよく利用していた熊本市内のシネコンつきの大きなショッピングモールは、
天井が剥がれ落ちるなど、営業停止が続いています。
またスプリンクラーが作動し、商品も売れなくなったものがあると聞きます。
そして、市民の誇りである熊本城も大きな痛手を負いました。
本丸だけではなく、石垣や櫓など、その周辺も含めて類を見ない大きさのまさに難攻不落のお城が、
被害を受けています。
2007年に築城から400年を迎え、それに合わせ様々な復元工事も行われたばかりだったのに…。
熊本を離れ、約10年。
住んでいた当時は、九州第2の県でありながら、観光地としては長崎や鹿児島に人気で劣っていました。
その後、2011年の九州新幹線全線開業を前に、通過点にならないために様々な取り組みを行い、
熊本の魅力をアピールしてきました。
その中で、キャラクターの「くまモン」が大ヒットして、街の知名度や好感度が一気に高まり、
2012年には熊本市が政令指定都市になりました。
中心部には熊本城、山間には阿蘇や温泉、天草にはきれいな海があり、
食べ物もお酒もおいしい県として、国内外から観光地として再評価されつつある中での今回の地震。
以前の職場の仲間たちは、家に帰っても倒れた家具などを元に戻す暇すらなく、
つらい地元の情報を伝え続けています。
余震もなかなか収まらない中、疲労、不安、恐怖、そしてストレスとの闘いもあるようです。
避難者も多く、復興までは長い期間が必要となることが予想されますが、とにかくこれ以上、
被害が拡大しないことと、被災した方々が一日も早く安心して生活ができるようになることを
祈るばかりです。
そして、また熊本で仲間と笑顔で再会できる日が来るよう願いたいと思います。
そのために、広島からできることを、しっかりと考えていきます。