先月、走り回る子どもの面倒を見ていた際、ぬかるんだ地面に足を取られ、
低い鉄柵に足が入りそうになったため踏ん張ったところ、複雑に捻って足首を骨折しました。
まさに一瞬の出来事でした。
人生初めての骨折、そして手術。会社に入って初めての長期間の休養は、まさに驚きの連続でした。
・怪我直後の行き場の無い「激痛」。
・病院でレントゲンを撮って初めて認識した「骨折」という事実(折れたと思っていなかった)
・ニュース6で踏み込んで伝えられた休養するという「お知らせ」。
・手術後、二晩眠ることができなかったなんとも言えない「痛み」。
・その後、すぐ始まったリハビリで日々感じる事が出来た「回復」。
3週間少々の入院でしたが、めまぐるしくてあっという間でした。しかし、こんなに長く番組を休んだことが無かったため、皆さんに申し訳無いなという気持ちと、治すためには焦ってはいけないという気持ちが複雑に入り交じっていた3週間少々でした。
救急車で運びこまれる時も複雑な気持ちでした。怪我をして痛みに苦しみ、もがいている姿を見て親族が救急車を呼びました。しかし私はその時点で、骨折などしたと思っていませんでした。救急医療を取材していた私は、「救急車をタクシー代わりに使わないで下さい」と呼びかけているのに、その自分が救急車を呼んでいいものだろうかという疑問が、激痛の中ですが、渦巻いてきました。思わず「救急車を断って!」と叫んでしまいました。ええ?と親族が困惑したので、改めて足の状態を確認したところ、やはり立つ事が出来ない。私は観念してそのまま来ていただきました。もちろん救急車で運ばれてよかったと思いますが、取材者が当事者になってしまう複雑な気持ちは今も拭えません。
退院後、20日月曜日から会社に復帰し、ニュース6に出演しております。今、一番驚いているのは、怪我をした状況が、伝え聞いた人々に意外にも多く間違って伝わっているという事実。なぜか先輩や、同僚の怪我の状況と間違われていたり、もっと重傷だと伝えられていたり、怪我をした場所が、流川や並木通り、しまいにはどこかの料亭だと伝わっていたり(笑)(実際は安佐南区でした)今は、ご心配していただいている皆さんに現在の状況を含めてお伝えしている日々です。
とりとめなく書きましたが、手術は本当に大変でした。もちろん怪我はしないほうがいいに決まっています。『危険は身の回りに潜んでいる』その事を肝に銘じながら、日々生活をしなければと感じている毎日です。
東日本大震災から4年が経過しました。
今年もニュース6の取材で福島県相馬市に入りました。相馬取材は3回目となります。
まだまだがれきが山積みだった町並みが、整然と撤去されて更地になり、
そして今年は工事が至るところで始まっていました。
この取材のきっかけは、広島市から相馬市役所に派遣されている職員の福馬さんの取材でした。
その人を通して感じたことや、出会った現地の皆さんを取材してきました。
今回は、その現地の皆さんが、広島の市民グループと共に、
東京で現状を報告するイベントが開かれるので、改めて現地を訪れたのです。
今回の取材では、報告のイベントで震災時の体験を話すことになった、
若い漁師の菊地さんにお話しを聞きました。
取材の日はちょうど漁に出た日で、水揚げに立ち会いましたが、粋のいい魚介類があがっていました。
しかし今は試験操業しかできない状況で、毎日漁は出来ません。捕れる魚も決まっています。
原発事故の影響で本格操業がいつになったら出来るのか、何も決まっていません。
この日にあがった魚で基準値を超えるものはありませんでしたが、風評被害に悩まされているといいます。
そんな中でも、菊地さんらは後ろ向きにならず、本格操業になる日を目指して、若手の育成や、新たな漁法に挑戦するなどして、時間があるからこそ出来ることに挑戦していました。
震災時では、家が流され、おばさんが亡くなるなど大変な目にあった菊地さん。
しかし、震災の深夜に生まれた次女と長女、妻などご家族を守るために、日々活動されていました。
菊地さんなど相馬市の皆さんのイベント参加を呼びかけたのが、
広島の市民グループの一員で、昨年まで相馬市に派遣されていた職員、福馬さんでした。
現地の皆さんとの交流は、派遣後も続いているのです。
福馬さんはこう話します。
「つながりに終わりはないですよね。終わらないから、つながっているんですよ」
4年という月日は、派遣職員も交代で帰ったり、ボランティアも減ったりするなどして、現地の皆さんはなおさら「自立」していかなければならないと感じているそうですが、建物や施設の復興のように目に見える形では徐々に自立していけるのでしょうが、心の復興はなかなか難しいそうです。
まだまだ、何らかの手助けを必要とされています。
これは広島の土砂災害でもそうですが、やはり時間の経過だけで片付く問題では無いようです。
東北の皆さんは、是非いまの被災地の状況を見て下さいと話します。
私もなんらかの形でつながっていきたい。改めてそう思いました。
いきなり子どもっぽい話で、スイマセン。
小さな頃から怪獣映画をよく見ていて、特に「ゴジラ」はよく見に行っていました。
私にとって一番のインパクトは1984年に公開された『ゴジラ』
(小林桂樹さん、田中健さん、沢口靖子さんら出演)。
所詮、怪獣映画だよね、と思わないで下さい。私はこの映画から様々な事を学びました。
例えば『非核三原則』。
核を持たず、作らず、持ち込ませず。
日本がかかげる核に対する基本的な方針です。
当時の米ソが、日本に上陸するゴジラに対し核攻撃をしかけてよいかと要望してきた際、
日本の総理大臣が持ち出した言葉です。
小学校六年生の当時、その言葉がとても印象的でした。
この時の映画は、社会的・国際的な状況、時代背景や、最先端の科学的な知見を取り入れる努力がなされたものでした。
アドバイザーとして、地球物理学者の第一人者竹内均東大名誉教授や、耐震工学者の大崎順彦東大名誉教授、ジャーナリストの田原総一朗氏などが特別スタッフとして関わったので、リアルな状況が作り出されたのです。
水爆実験で生まれたゴジラ。
もちろんエンターテイメント的な要素もありましたが、そういった世の中の動きを学ばせてくれる存在でした。
私の夢は『ゴジラ』で、現場からリポートする役をやってみたいのですが、無理ですかね。
出演したいなあ(笑)
いよいよ明日から、(まるで宣伝みたいですが)米国の手による2作目ハリウッド版『ゴジラ』が上映されます。
もちろん出演のオファーはありませんでしたが(笑)
今回の映画は、ハリウッド版の1作目よりも、より日本のものに近いと言うことで、大変楽しみにしています。
初日はどうしても行けないのですが、2日目以降に見に行きたいと思います。
どんな内容なんでしょうねえ。
まもなく4月。
もう次のアナウンサー日記かと思い、時間の経過に驚いております。
前回投稿から3か月を振り替えると、
気を付けていても、なぜか毎年のようにかかっていたインフルエンザには、
今年は奇跡的にり患せず、冬を越しました。やったー!
しかし、その代わりと言ってはなんですが、
感染性胃腸炎に2度かかり七転八倒するは、
自転車で2度も転倒もするは(前方に一回転とサイドから滑り込み転倒の2回)、
そしてかかりたくなかった、春の花粉症にどうもかかったみたい。
春は出会いの季節ですが、そんな出会いはしたくなかった…。
よく休まず仕事を続けられたなと我ながら思ってしまった散々な年度末でしたが、
気持ちをきちんと切り替えて新年度には臨もうと思います(笑)。
ニュース6ではスポーツコーナーを3年つとめてくれた下程さんが勇退し、
新たなメンバーとお伝えすることになります。
消費税増税などの逆風に負けない春にするべく、
体調をきちんと維持しつつ(^_^;)、いつも通り元気にお伝えします!
「サンフレッチェ広島、奇跡の優勝」
そんな言葉が紙面に並びましたが、私は奇跡だとは思いません。
奇跡とは常識で考えて起こりえない出来事。
確かに可能性は低かったかもしれませんし、他力本願の面も否めませんが、
チームがやるべく事をやって勝ち取ったものだと思うからです。
試合当日、現地に乗り込みました。
朝早い便で行くはずが、飛行機がまさかの機材トラブル。
1時間遅れで到着したため、満席の乗客の多くはサンフレサポーターでしたが、
新たなスケジュールで現地に行かなければならなかったでしょう。
私も通常行かないであろうルートのバスに乗って現地入り。
優勝の可能性のある両チームの戦いとあって、直通バスや最寄りの電車は満員だったと言うことです。
そんな中で迎えた広島対鹿島戦。
まず驚いたのが、鹿島の圧倒的な応援の組織力のすばらしさ。
さすがJリーグスタート時から上位争いを続けている強豪チームのサポーターだなと感じました。
しかしその中にあっても、サンフレッチェのサポーターの声は負けていなかったのです。
正にピッチの外での戦いも激しかった。
このサポーターの声を聞いてサンフレの選手達は、気持ちよくプレーが出来たはずです。
前半に先制点をあげてリードし、人数が少なくなったあとで後半は2点目。
選手達ももちろん頑張っていました。
戦いはとても落ち着いて見えました。
去年優勝したという経験がそうさせているのかもしれません。
やるべき事をやっている。そんな試合でした。
「さー行こうぜどこまでーも、走り出せー、走り出せー…」
押せ押せのムードの中の大合唱に、私もスタンドで見ていて身震いをしました。
横浜の状況も伝わってくる中、優勝決定の報せは、「びっくり」したものでは無く、
「確信」を得たものでした。
試合後、佐藤寿人選手がこう語っていました。
「とにかくびっくりしている。僕たちに出来ることは2位以上という結果を残すこと。
優勝を望んでいるサポーターの皆さんのおかげで優勝することが出来た」と言います。
もちろん可能性は低かったかもしれません。
しかしスタンドや、パブリックビューイングの応援が後押しになったことは間違いありません。
森保監督は最後にこんなコメントを残しました。
「一年間、一喜一憂することはあるけれど、一喜一憂する幅が小さいチームが成熟したチームだ。
今年は選手達が本当にそれを実践してくれた。」
ピッチの外では優勝戦の直前も聞きたくないようないろんな事がありました。しかしやるべき事をやる。
まさにぶれない戦い方をするというのがこの一年だとすれば、
それを最後に後押ししたのがサポーターの声だったのでしょう。
連覇おめでとう、サンフレッチェ広島。
そして、天皇杯も期待しています!