東日本大震災から3か月後の2011年6月。
放射線の線量計を見つめながら向かった福島。
取材は4日目を迎えていた。途中、取材車のドライバーさんの携帯が鳴った。
「ちょっと、電話に出させてください。」
そう言って車を止めたドライバーさんは電話口でこう言った。
「そうですか。ありがとうございます。じゃあ、褒めてあげなきゃいけないですねぇ。
電話を切ったその人に「なんだったんですか?」と尋ねた。
口数の少ないその人は、淡々と「私は、今回の震災の被災者なんですが、今日、行方不明だった姪っ子が遺体で見つかったそうです。」と言った。
ずっと取材に同行していたこの人は被災者だったんだと驚いた。
と同時に「褒めてあげなきゃいけないですね。」の意味が知りたかった。
次の言葉が見つからないまま立ち尽くしていると、ポツリと「姪っ子は小学生だったんですが、スイミングスクールに通っていました。25メートル泳げずに、いつも居残りをさせられていると言っていました。
その子が、たった今、私のふるさと石巻市の港から800メートル離れた場所で見つかったそうなんです。
25メートル泳げなかった子が、亡くなった後800メートルも泳いだんですよ。褒めてあげたいじゃないですか。」と言った。
膝の震えが止まらず、涙が一瞬で溢れた。
その日以来、私は、この人が住む宮城県石巻市のサポートをしようと決めた。
震災直後から始めたチャリティライブ「ヨコヤマ☆ナイト」は開始から71回を迎えた。
これまでに集まった義援金は総額で1500万円を越えた。
いつも、この話しを思い出すと涙が溢れる。
そして、悲しんでいる場合じゃない!と自分を叱咤する。
私はライブで言い続ける「私たちは微力ではあるが、無力ではない」と。
その言葉は、被災地と、そこに住まう人たちを忘れそうになってしまう自分にいつも向けられている。
東日本大震災は、まだ歴史の1ページではない。現在進行形なのだ。
3月10日。震災から7年目を迎える石巻に行って来ます。
笑顔と、みなさんから預かった今年1年間に集まった266万2432円の義援金を届けに…。
2017年3月9日
宮城県石巻市観光大使 横山雄二