原爆投下による
広電電車の被害と復興


原爆投下等により犠牲となった広島電鉄社員・関係者の慰霊碑(広島電鉄千田車庫内、2019年)

■ 原爆投下による被害
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、人類史上初めての原子爆弾が広島に投下されました。直前に警戒警報が解除され、普段の月曜日の営みを始めていた広島の街は地獄絵図と化し、運行中の63両の電車も被爆しました。

たった1発の原爆でその年の末までに亡くなられた方は約14万人と推計されていますが、その中には電車に乗車中の数多くの乗客も含まれています。広島電鉄が受けた被害は非常に大きく、在籍していた123両の電車のうち108両が被災し、そのうちの40両以上が全壊・全焼ないし大破しました。また、施設の被害も大きく、爆心地の近くにあった櫓下変電所は全壊、電柱842本のうち393本が倒壊しました。

こうして、車両と施設に大きな被害を受けた市内電車は全線で運行ができなくなりました。広島電鉄の人的被害は、従業員1,241名のうち、死者185名、負傷者266名で、死者の中には広島電鉄家政女学校の女生徒たち30名も含まれています。現在、千田車庫の出庫口脇には慰霊碑が建立され、物故者の方の御霊を慰めています。

■ 原爆被害からの復旧と運行再開
原爆により全線運行不能となった広島電鉄市内電車ですが、生き残った社員たちはすぐに復旧作業を始め、車両や線路、電柱や電線、橋などの状況を確認して歩き、倒れた電柱をトラックとロープで引っ張り起こし、切れた電線を繋いで引っ張るなど懸命の作業を続けました。

被爆3日後の8月9日には、爆心地から15km離れた廿日市変電所からの電力を使って、己斐(現・広電西広島)から西天満町(現・天満町)という短い区間ながら、市内電車の運行を再開しました。原爆ですべてを失った人も多く、再開一番電車に乗務した車掌は「お金のない人からは電車賃をもらわんでもええで」と言われていたといいます。軍都であった広島の交通の復旧には陸軍も協力し、船舶部が持っていた船のマストの帆柱300本が電柱用に提供されたとの逸話もあります。

多くの関係者が尽力して運行再開した路面電車の走る姿は、復興へと立ち上がる市民を大いに勇気づけたと伝えられていますが、復旧は順調に進んだわけではありません。被爆から1か月余りのちの9月17日、日本を襲った枕崎台風は、広島県下に2,012名の死者を出すなど大きな爪痕を残し、広島電鉄も天満橋と横川橋が流失するという被害を受け、果たして復興再建できるのかという声が聞かれたほどでした。

社員には、被爆による原爆症を発症し倒れる者も出ましたが、「社会の治安を維持し、都市の復興を促進するためには、先ず交通運輸の再建を急がなければいけないという信念の下」(のちの社長・伊藤信之氏の回想より)、社員たちは復旧作業を続けました。己斐から始まった市内電車の復旧は、9月7日には八丁堀まで至り、廃墟の市内中心部に電車の走る音が響き始めました。しかし、この時点で運行可能な車両は10両に過ぎず、広島駅まで復旧した10月11日でもその数は20両と、復旧の道のりは厳しいものでした。


原爆により全焼した電車(1945年、紙屋町交差点付近)

復興が進む広島の街と戦後、木造車両500形を鋼体化 した700形電車(八丁堀付近)
大阪市交通局からトレーラーで搬入される中古車両750形(1965年、宮島口駅)

■ 戦後の復興と電車
1945年(昭和20年)8月15日、太平洋戦争は終わりました。戦後も、原爆投下から約1か月後の枕崎台風によって橋が落ちるなど、電車はさらなる被害を受けましたが、極端な物資不足と激しいインフレの中でも、復旧に全力を注ぎました。路面電車は、1945(昭和20)年10月には広島市内中心部から広島駅までの主要な路線が復旧しました。枕崎台風で流失した横川橋を仮設橋で復旧した1948年(昭和23年)12月に横川線が全通してほぼ復旧を完了し、都市計画道路建設に伴う軌道移設のあった白島線が1952年(昭和27年)6月に運行を再開して、概ね現在の路線網が整いました。また1949(昭和24)年度には、ほぼ全車両の復旧を終えました。

戦後、経済復興とともに増加した輸送需要に応えるため、車両・施設の復旧に続いて、電車の輸送力アップや市内線・宮島線の直通運転等に取り組みました。昭和30年代後半から(1960年頃~)は、広島市内にもモータリゼーションの波が押し寄せ、路面電車は軌道敷内に乗り入れた自動車に運行が妨げられ、一時は存続が危ぶまれるほどの利用者の減少に直面しました。しかしながら、路面電車が廃止となった大阪、神戸などからの大型の中古車両の購入や、ワンマン運行などにより輸送の効率化や合理化に取り組んだほか、行政の支援も得たことで、路面電車廃止の危機を乗り越えました。

■ 未来へ駆ける路面電車

1999年(平成11年)3月13日、ロシアの超巨大輸送機アントノフが広島空港に降り立ちました。積み荷はドイツのシーメンス社製の超低床電車5000形。鮮烈なデビューを飾った「グリーンムーバー」はその年の6月から営業運行を開始し、広島電鉄初の超低床電車として「路面電車ルネッサンス」の先駆けとなりました。 2005年(平成17年)からは近畿車輛、三菱重工業、東洋電機製造の国内メーカー3社と共同開発した国産初の完全超低床電車5100形「グリーンムーバーマックス」を導入、2013年(平成25年)からは市内線用の1000形「グリーンムーバーレックス」が加わりました。現在の最新鋭車両は、2019年(平成31年)から導入を開始した5200形「グリーンムーバーエイペックス」で、モノトーンの都会的なデザインが特長です。

また、広島市の推進する広島駅南口再整備等事業に合わせて、2025年春には広島電鉄電車が新たな広島駅ビル2階に高架で乗り入れ、広島駅と広島市内中心部をよりスピーディーに結ぶ「広島駅前大橋ルート」が開業する予定で、広島の路面電車は新たな時代を迎えます。

原爆の被害を乗り越えた「被爆電車」のうち、651号と652号の2両は、現在も日々、お客様をお乗せして営業運行で活躍しています。「被爆電車特別運行プロジェクト」などの機会に運行する653号、2020年11月開催の「ひろでんの日」に合わせて33年ぶりに復活運行した156号とともに、被爆電車は変わりゆく広島の街と、未来へ向かい駆け続ける路面電車を見守っています。


ドイツから空輸された1編成目のグリーンムーバー5001号(1999年、広島空港)
広島駅前を運行する5200形グリーンムーバーエイペックス(2019年、広島駅)